松山で負けがたまる・2・
朝6時起床、6時半に朝食、7時半に出発。先天的に体育会系ではない私にとって、毎回毎回この朝の激しいスケジュールには、着いていくだけで精いっぱい
ホテルの朝食バイキングで、先輩のお姉さまたちがトレーいっぱいにおかずを装っているのを横目に、私はヨーグルトとパンと紅茶。朝6時半、こんなものしか胃に入りません!
松山の陽気なタクシー運転手さんの観光案内を聞きながら、15分ほどで会場に到着。すばらしくきれいなプールです。
朝8時の開門と同時にどどどーと会場に入っていくマスターズのスイマーたち。そして、すぐに水着に着替えてプールサイドに向かいます。8時半からスタート練習開始。「よーい、ピン」と鳴り響くスタートの電子音に、あぁ、またこの音が聞こえるところに来てしまったのだという後悔を一瞬した後、やるしかないモードに切り替えて飛びこみ練習をします。タフなスイマーに交じってビビりながら
第1日目の出場種目は200m背泳ぎでした。午後2時からのレースまで、ドキドキしながら、落ち着かない胃やお腹を時々さすりながら、ストレッチをしてみたりもしながら、とにかく、「よーい、ピン」までの時間をやり過ごさなければなりません。
レースの20分前くらいには、プールサイドの招集所という所に行って、一緒に泳ぐ人たちとベンチに座って待たなければなりません。この時間が最も緊張する時間です。
いよいよ自分の番が回ってくると、スタート台の後ろまでプールサイドを歩き、自分のレーンの椅子に座って待ちます。前の組のスイマーたちが泳いでる姿が見えます。自分もあんなふうに泳げるだろうか。。。
この辺りから、今回の失敗レースは始まっていたのかもしれません。さあ、泳ぐぞー!というテンションじゃなければいけなかったのに。やっぱり、私、アドレナリンが出ない体質なのかも。。。
背泳ぎは、一度入水してからのスタートになります。ピピピーという笛の音にいやおうなく背中を押され入水。スタート台のバーを握れば、もう数秒後には泳ぎ始めなければなりません。練習のとおりにと自分に言い聞かせました。
よーい、ピン!
泳ぎ始めました。初めは落ち着いて、最後の50mは全力でという作戦でした。ターンはいっぱい練習したので、前回よりは大丈夫という自信あり。
そして、4分30秒後にゴール!のはずだったのですが、ゴールして電光掲示板を見ると、私のタイムが4分52秒○○
え?!目を疑いました。そんなに遅かったの?!
予定より22秒も遅いタイムに大ショックを受けました。確かに体が疲れた感じはしていたけれど、そこまで遅かったとは。。。そして、振り返ってみて、泳ぎながらおかしいなと感じたことを思い出しました。5mの旗から普通は6回腕を回すと壁にタッチできるのに、7回回さないと届かなかったことでした。つまり、1回の距離の分だけスピードが出ていなかったというわけです。
がっかりしながら着替えて観客席に上がっていと、コーチが「どうしたのぉ」と言いました。自分でも原因がわからない。2週間前くらいから、腕がばきばきに痛かったし、回しているうちに腱が切れるかもと思っていたのは確かですが、それでもこんなに遅かったとは。。。
落ちる時は徹底的に落ちた方がいいぞ、というようなことをコーチに言われると、涙があふれてきて
その日は、松山市内で16年ぶりに恩師に会う約束があったので、それからそそくさと一人でプールを後にしました。
泣きながら歩いていったJR市坪駅。別名は野球(の・ボール)駅。坊っちゃんスタジアムの最寄り駅なので、野球用語を訳した正岡子規の本名「のぼる」にちなんでつけられた名前だそうです。
泣きながら乗ったJRのワンマン列車。
泣きながら路面電車を待っていた松山駅前。
5○歳、十数年ぶりの恩師との再会の日に、こんなところで泣いていたこと、一生忘れないだろうな。。。
つづく・・・
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