« 早起きしてみようか | トップページ | とうとう遠近両用に »

해변의 카프카 제16장

안에는 동그란 과일 같은 것이 나란히 놓여 있었다.  전부 해서 스무 개쯤 되는 것 같다. ______ 그것은 고양이의 머리였다.

ジョニー・ウォーカーの家に行ったナカタさん、ゴマちゃんを連れて帰れるのかsign02という14章に続く件ですが、冷凍庫には20個ものネコの頭が並んでいるという衝撃的な場面から始まりました。果物屋にオレンジが陳列されているみたいに 과일 가게에 진열된 오젠지처럼 という描写が非常にリアルに感じられました。ギャーshock

ゴマちゃんを連れて帰る代わりに取引をしようとジョニー・ウォーカーが言います。

시간이 그다지 없네.  단도직입적으로 말하지.  자네가 내게 해 주었으면 하는 일은,  나를 죽이는 일일세.  내 묵숨을 빼앗는 일이지.

ナカタさんが自分を殺してくれれば、ゴマちゃんを無事に解放すると。

"나카타는 지금까지 사람을 죽여본 일이라고는 없습니다.  그런 일에 나카타는 별로 적합하지 않습니다."

そうですよ。読者の誰もがナカタさんは人を殺せるような人ではないとわかっています。しかし、ジョニー・ウォーカーは、「세상에는 그런 논리가 잘 통하지 않는 곳도 있는 걸세. 世の中にはそういう理屈がうまく通じない場所だってあるんだ。자네는 이렇게 생각하니 않으면 안 되네.  이건 전쟁이다, 아고. これは戦争なんだと考えなくちゃいけない」とナカタさんを説得しようとします。相手を殺さなければ、自分が殺されてしまう戦争なんだと。

もちろん、戦争といわれて、ナカタさんはすぐに納得するわけではないのです。私も当然そうするでしょう。しかし、私たちが今生きている世界について思いを巡らせました。戦争という理由ならば、人殺しは正当化される、といってもいい現状ではないですか?相手がしかけてきたから応戦しなければ、自分たちが殺されてしまうじゃないですかって。隣国を自分たちの領土にしなければ、この国は生き残れないって。自国民を守るためなんだって。

ジョニー・ウォーカーは自分を殺させるために、ナカタさんに恐怖と憎悪を植えつけようとします。どんな善人でも、恐怖と憎悪があれば、人殺しはできるのだと確信しているように。

そして、生け捕りにしたネコの処刑を始めるのです。初めはナカタさんの知らないネコ。しかし、次はカワムラさんです。カワムラさんは殺されてしまいます。そして、ミミちゃんの番に・・・その次はゴマちゃんなのです!

ここで、ふと思いました。私たちは、知らない人の死に対しては、実に冷淡だってこと。さすがに、死んで当然とは思いませんが、しかたないよね、くらいの冷淡さです。アフリカで飢餓で死んでいく子どもたちに対して、中東の紛争に巻き込まれて死んでいく人たちに対して、そういう国に生まれちゃったんだからしかたないよね、と。そんな遠くのことでなくても、毎日新聞に掲載される訃報欄を、お茶を飲みながら読んでいます。あぁ、この人ずいぶん若くして死んじゃったんだなって。

ジョニー・ウォーカーはネコのお腹を切り裂き、まだ鼓動を打っている心臓を口に入れ、味わうのです。

"부드럽고, 따뜻하고, 마치 갓 잡은 장어의 간 같군 그래."

よくもネコの心臓を。。。shockと思いながら、また別の考えが浮かびました。魚なら自分で内臓をえぐり出すことだってある。牛なら、「レバさし、チョー美味しい」なんて食べることもある。ネコはかわいそうで到底食べられないけど、牛は美味しいのです。

心臓の話で、もうひとつ思い浮かんだのは、心臓移植のことです。ある人のまだ動いている心臓を、別の人に移すという作業です。「移植を受ければ助かる命」という言葉を、いつも私は半分怖いと思いながら聞いています。隣国を自分の領土にしなければ自国は生き残れないという論理と似ているような気がして。

"이것은 전쟁이고,  일단 시작한 전쟁을 중지하기는 대단히 어렵지.  한번 칼집에서 뽑은 칼이니까,  피가 흐르지 않으면 안 되네.  이것은 이치도 아니고,  논리도 아니고,  나의 억지도 아닐세.  그냥 규칙일 뿐이네.  그러니까 더 이상 고양이를 죽게 하고 싶지 않거든,  자네가 나를 죽일 수밖에 없다네.  일어나서 편견을 가지고 단호하게 죽이는 거야."

これは戦争なのだ。いったん始まった戦争をやめるのは難しい。理屈でもない、論理でもなり、ただの決まりなのだ。偏見を持って、断固として殺すのだ。そうすればすべてが終わる。

恐怖と憎悪から解放されるには、殺すしかないという論理ですね。そして、ナカタさんは、「인간이 인간이 아니게 된다 人が人でなくなる」状態になって、ついにジョニー・ウォーカーを殺してしまいます。

ナカタさんがこの取引で得たものは、ゴマちゃんの命と、ゴマちゃんの家族との約束の実現です。ナカタさんにとっては、見知らぬジョニー・ウォーカーという自分を恐怖と憎悪に陥れる人間より、ネコのゴマちゃんの命を選んだのです。

客観的に見れば、おかしいよ。人よりネコが大事なんて。

でも、私もそうなるかもしれないと思いました。知らない人の訃報には心を動かされないのに、飼っていたネコが死ねば、何日も泣いている。何年経っても、そのネコの顔やしぐさが忘れられなかったりする。交通事故でネコが死んだ時、警察に通報しようと思ったこともあります。運転手を逮捕しろ!と。

そういう変な感情の延長線上に、戦争というものがあるのかもしれません。殺されたんだから、殺したっていいはず。

しかし、当事者でなく、殺されていもいない私に、かたき討ちと称して誰かを殺す権利があるのだろうか。。。殺された人は本当はかたき討ちなんて望んでいないのかもしれない。ただ、残った人間が、殺した人に抱く憎悪の感情にピリオドを打ちたいだけなのじゃないか。。。

さて、この殺人事件と、カフカ君のシャツについていた血に何か関係があるのか・・・ありそうですね。

この章では特に難しい文がなかったので、私の感想を中心に記しました。ぎゃっ、気持ち悪い話と通り過ぎてしまいそうでしたが、韓国語でゆっくり読んでいくうちに、いろいろなことを考えました。皆さんの感想も聞けたらうれしいなと思います。

では、次の17章、たまさんお願いしますheart04

の予定でしたが、★honeybee★さんに飛びます~airplane

|

« 早起きしてみようか | トップページ | とうとう遠近両用に »

カフカの会」カテゴリの記事

コメント

実に気持ちの悪い状況でしたね。あまり想像しないようにして読もうとしてもそれは無理。
テラさんの文章の「ネコより人が大事」って言うところは、うっかりして逆に打ち込まれたのではないでしょうか(^^;)。
戦争についてはよく考えるのですが、宗教、主義、政治、民族などが原因で起きると思うのですが、この世から戦争は無くならないような気がしています。とても悲観的な見方かも知れませんが、やっぱり人間、報復に燃えてしまう人が多いのではないでしょうか。
韓国語の話ですが「돌다」が「気が狂う」の意味でけっこう出ますよね。恥ずかしながら知りませんでした。
「カフカ」に加えて「コヒプリ」をまた読んでおります。1年半前にくらべ、少しは語彙力がついたような気がしてほくそえんでおります(^^)。

投稿: ハーちゃん | 2009年10月20日 (火) 16時30分

おんに、
ほんとだ、まちがっていました。訂正します。
論理も整然としているとはいえませんねcoldsweats01
昨日は、この章を読みながら、ものすごく興奮していました。物語なのに。。。
エルサレム賞の演説を聞いてから、いろいろなところに村上さんの暗喩があるような気がして。
あらためて小説のおもしろさというか、すごさを感じました。

돌았어とか、ドラマで耳にしますね。
いろいろなことを考えると、돌아버리겠다wobblyという気にもなりますが、世界は美しいと思いながら、元気にすごしたいですよね。
今、夕焼けがものすごくきれいですsign01
そうそう、3日連続で早起きしていますscissors

投稿: テラ | 2009年10月20日 (火) 17時27分

heart04もらったのに、すいません。

ちょっと忙しいので今回は飛ばしてもらって、honeybeeさんに17章をお願いしました。

1周したころ復活します~!

投稿: たま | 2009年10月24日 (土) 16時05分

たまさん、了解~
★honeybee★さんも復活されてよかったですね。

次回よろしくお願いしますheart04heart04

投稿: テラ | 2009年10月25日 (日) 09時15分

人間の憎悪の感情というのは、ほんとうに怖いです。
今回、インフルエンザで高熱にうなされる娘の手を握りながら、「万、万、万が一、この娘を失ったら、私はどうなるんだろう」と考えてしまって、怖くて怖くて、恐怖に押しつぶされそうになりました。
それが病気でなく、他人の手で命を奪われたりしたら、きっと私の心にも憎悪という悪魔が棲みつくに違いないと思うのです。
まして戦争なんていう理不尽な理由で家族の命が奪われたりしたら、憎悪の連鎖はとどまるところをしらない状態にならざるをえないと思います。
憎悪の感情なんて、絶対に知りたくない。絶対に持ちたくないです。

投稿: nikka | 2009年10月25日 (日) 23時21分

理不尽な理由で命が奪われたら、やっぱりあきらめきれないのかな。そうかもしれません。
それを憎悪の感情にしないように、宗教とかいろいろな装置があったはずなのに、今は宗教を理由にして戦争したりしてますよね。

違う話ですけど、
アメリカで心臓移植を終えて元気になって帰ってきた男の子がいるのですが、その子の笑顔をテレビで見て、やっぱり元気になってよかったなと思いました。これから何十年か生きられるのですもんね。
相手のこともあるから手放しでは喜べないと、お母さんが言っていました。そういう気持ちがあるなら移植もありかな?と思いました。

投稿: テラ | 2009年10月26日 (月) 10時20分

移植の問題も、ほんとうに難しいですね。
私は別になんの宗教も持ってない人間ですが、
他人の臓器まで欲しがる時代になったということに、
なんとなく恐怖というか、拒否感というか、すんなり心に入ってこない何かを感じます。
でもこれは個人の問題ではなく、医学の進歩の、もしかしたら負の面なのかなと思ったりしてます。
本来望むべくもなかったことが、可能だと言われ、目の前にぶら下げられたら、誰だって手に入れたくなると思うし。
自分のことじゃなく、わが子のためだったら、ドラマのワンシーンじゃないけど、土下座してでも手に入れようとするのかもと思ったりもするし。
考え出したらキリがなくなっちゃいます。

投稿: nikka | 2009年10月26日 (月) 23時29分

臓器移植法が改正されて、脳死が人の死と規定されたのですよね。脳死状態で家族が承諾すれば、死んだ人の臓器が使えるというわけ。
それがだんだん当たり前になってくるのか、それとも、何か違和感を抱きつつ進んでいくのか、将来のことはわかりませんが、私はもらってまで生きたくない派です。
いくら医学が進歩して長生きできる時代になっても、あきらめることを知らないと、人はしあわせに生きられないと思うのです。
臓器移植も欲の一つだと思うのですが。。。

投稿: テラ | 2009年10月27日 (火) 09時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 早起きしてみようか | トップページ | とうとう遠近両用に »