심장 수술을 보면서
흉부외과 의사가 주인공인 한국 드라마를 봤다.
드라마 중에 심장 수술을 하고 있는 장면이 많이 나왔는데 심장이 쿵덕쿵덕 움직여서 신기한 느낌이 들었다.
내 심장도 그렇게 움직이는구나......
심장이식을 하는 장면도 있었다. 뇌사라고 판정된 환자 몸속에서 심장을 꺼내고 다른 환자 몸속에 넣어 혈관을 연결하는 것이다.
뇌사 상태의 환자는 아직도 심장이 뛰고 있으니까 먼저 그 심장을 멈추게 해야 한다. 즉 의도적으로 사람을 죽이는 것이다.
그 환자의 내장을 다른 환자들에게 나눠 준다면 그 환자들이 더 오래 살게 될 것이다. 환자를 살리고 싶은 의사는 가능한 한 이식수술을 하고 싶은 것이다.
나는 장기이식을 인정하지 않는 사람이라서 그 의사의 행동은 잔인하다고 느꼈다. 누군가를 희생하면서도 인간은 오래 오래 살아야 되는 것일까.
나는 산부인과 의사한테 인공수정하지 않으면 아이를 가질 수 없을 거라고 들었을 때 인공적으로 생명을 창조하는 것이 싫다고 느꼈다. 그래서 거부했는데 노력하지 않으면 안 된다고 비난한 사람도 있었다.
의료 기술이 발달됐기 때문에 구할 수 있는 목숨도 있지만 그 의료 기술이 없었다면 고민하지 않아도 됐을 선택이 늘어났다고 할 수도 있다.
의료 기술의 진보는 희망인지 고민이나 원망의 씨앗인지......
【今日の単語】
흉부외과 胸部外科
심장이 쿵덕쿵덕 움직인다 心臓がどくんどくんと動く
장기이식 臓器移植 뇌사 脳死
인공수정 人工授精 생명을 창조하다 生命をつくり出す
희망 望み 고민 悩み 원망 恨み
| 固定リンク
「ハングル日記」カテゴリの記事
- 백일(2010.07.25)
- 오이(2010.07.19)
- ハングル日記 수영장(2010.07.18)
- 생일(2010.07.13)
コメント
テラ씨는 그런 수술 장면을 쳐다볼 수 있으세요? 저는 아무래도 무리일 것 같아요.
사실은요, 수 년 전에 우리 남편이 심장 수술을 받았거든요. 대동맥판에 이상이 생겨서요. 수술 시간은 그리 길지 않았는데 우리 가족에게는 너무 길어 느꼈어요.
현대 의확 덕분에 그는 잘 지내고 있어요.
저도 뇌사 상태인 사람은 죽고 있다고는 생각하지 못해요. 특히 그 사람 가족에게는 그런 것 같지 않을까요?
한편 장기이식을 받을 수 있는 날을 기다리는 사람들도 많은데.... 참 어려운 문제네요.
投稿: ハーちゃん | 2009年1月29日 (木) 15時48分
언니 남편님은 그랬군요......
그럼 '뉴하트'나 '봉달희'는 보기 싫은 장면이 많았죠.
아픔은 겪은 사람밖에 모르는 거잖아요.
그 드라마 중에서 의사들이 인간 심장을, 물론 진짜는 아니지만, 되지나 소의 심장처럼 다루는 태도를 보고 무서워졌어요.
인간 심장도 동물 심장의 하나라는 건 알고 있지만 왠지 먹을 것 같아서요.
마침 어제 TV프로로 장기를 제공한 여자의 어머니의 이야기를 들었는데요. 그 어머니는 지금도 그렇게 한 건 옳은 것이었는지 그른 것이었는지 계속 생각하고 있대요. 자기가 딸을 죽여 버린 것 같아서 그랬대요.
심장이식을 받을 수 없어서 아이를 잃은 아버지도 나왔는데요. 이식만 받을 수 있다면 구할 수 있었던 목숨이었다고 했는데 그 이야기를 듣고 너무 무서웠어요. 그 심장은 다른 사람이 죽은 후에야 생기는 장기잖아요. 자기 아이만 살릴 수 있다면 다른 사람의 죽음은 당연한 것이라고 생각하고 있는 듯했어요. 그 아버지의 진짜 심정은 헤아릴 수 없는 것이겠지만.
정말 어려운 문제네요.
投稿: テラ | 2009年1月29日 (木) 19時16分
読めないよ~
下の解説で、なんか、夏君の出発の事書いてるかなって思ったけど。
私も、カンパしましたよ!
早く元気になって、帰って来て欲しい。
だけど、それを言う事は罪のような気もする。
自分の臓器移植カードは、免許証のケースに入れてますが、自分の子供が脳死宣告された時、その判断が出来るかと言えば・・・・。
そんな、弱い私なのです。
投稿: an | 2009年1月30日 (金) 01時21分
anさん、ごめんなさい
韓国ドラマ『ニューハート』や『外科医ポンダルヒ』を見て、心臓移植などについてちょっと考えたという話です。
私は移植医療には?の立場なので、カードは持っていませんし、募金に協力したこともありません。
それって、やっぱり非情だと思われるのかな。。。
でも、他人の死の上に成り立つ生命とはなんなのか、しかも極限られた一部の人にしか適応されない医療だし、なんか考えることが多すぎてよくわかりません。
医療技術の進歩は、望みなのか、悩みや恨みの種なのか・・・
私は子どもができなくて、手術は受けましたが、人工授精は拒否。人工的な生命の操作は生理的に嫌だったから。でも、努力しなきゃだめだと非難されたりしましたよ。
そういう技術がなければ、仕方ないよねとあきらめて生きていけるのに・・・その方がしあわせな場合もあるんじゃないのかって思うのです。
投稿: テラ | 2009年1月30日 (金) 09時58分
「倒錯ワールド・ブログ」に、ご訪問ありがとう。
あぁ、勘違い。。。ですた。てへ。
人それぞれの考えや思いに違いがあって、当たり前だと思いますよ。
何を選ぶかも、自由ですよね。
私は、「生きていない自分の体が誰かを救えるなら、使って~、後、焼くだけだから、もったいない。」という、単純な考えなのですょ。
ちょっと驚いたんですけど。
テラさんの思いを理解できない人がいるの?
何で非難されなきゃならないの?
自分の考えを相手に押し付ける事は、とっても相手を傷つけますよね。
それは、世界の大きな争いにも繋がっていると思う。
投稿: an | 2009年1月30日 (金) 11時28分
anさんの「使って~、後、焼くだけだから、もったいない。」という言葉、妙にすぅっと納得できました。
そういう考えもありですね。
私もドナーカード持ってみようかな。。。
自分は移植は受けたくないけど、人にあげるのならいいかも。
「自分の考えを押し付けること」

本当にそれがすべての争いの元ですね
武力でというのが最低の行為ですよね
投稿: テラ | 2009年1月30日 (金) 11時47分
テラさん、こちら雨が降っています。
anさんとテラさんは「パレスチナの子供の里親運動」のグループでいらっしゃるんですね。anさんのブログで知りました。みなさんそれぞれのやり方で支援していらっしゃるの、エラいです。
ドナーの件ですが、本人にその意思があっても、決定するのは家族ですよね。そこが難しいと思います。
主人は平気な顔で「ポンダリ」を見ていましたよ。とても気に入ったようで。私はダメ。下を向いてます。「ありがとうございます」でも、けっこう血が吹き出す場面がありましたよね。とても見ていられませんでした。
子供さんの事ですが、作らない主義の人もいるし、決して「子供さんはまだ?」とか「どうして作らないの?」なんて事を言うべきではありません。
そういう事を言う人とは友達になれないな、と思います。
投稿: ハーちゃん | 2009年1月30日 (金) 16時20分
おんに、1月も最終日ですね。雨が上がりました。
な顔になって逃げ出しますよ。
血が噴出す場面、うちは夫がダメです。
一旦止まった心臓が電気ショックで動き出すのって不思議じゃないですか?しかも、日常茶飯事のように行われていて。。。
AEDもあちこちに置かれていますよね。そういう時代になったのですねぇ。
子どものことは、以前ものすごくナーバスになっていましたが、歳とともに耐性がついてきたようです。
何気ない言葉がぐさっぐさっと突き刺さるということを経験して、おかげで私の言葉もいくらか柔らかくなってきたようです。
人生に辛い経験は必要なんですよね
投稿: テラ | 2009年1月31日 (土) 11時38分
テラさん~
ちょっぴりご無沙汰してました。なんか気持ちばっかりバタバタのこの頃です
と思いました。それが治療をやめる理由。だいたい治療っていうのも違うような
家族計画の避妊はよくて不妊治療に積極的じゃないと悪者ですか?って言いたくなるあの雰囲気にも疑問が~


臓器移植は自分のをあげるならまぁアリかな、とも思うし。でも決断する家族の気持ちまでは強いることはできないし・・・。でも、もらってまでというのはテラさんと同じです。ただ、子供を救えるというシチュエーションでもそう考えられるのかはわかりませんけど。子供いないからなおさら。。。
不妊治療のことも、そうそうって思いながら読みました。私はノーを言う勇気がなくて一回体外授精までやってみたんですけど、やっぱりこれは違うんでは
何事も自分が持てる範囲で幸せが一番いいという結論です、私は
持てるものには感謝してそれで何か役に立てればそれが幸せかな・・・
投稿: narinya | 2009年1月31日 (土) 12時29分
narinyaさん、お忙しそうですね。でも、それがしあわせでしょ
私もこのところバタバタしていて。何しろ中3生を教えなきゃいけないから、高校入試問題なんかを解いたりしているもので。。。
子どもいないからわからないってことは確かにありますよね。でも、子どもがいる人には、子どもがいない人の気持ちもわからないんだって思います。
とも思ったし。

少子化だし、少数派だから、たまに世間から冷たい目で見られることもありますねぇ。
宗教の本とかを毎日読んで、生きるって何?ってことばかり考えて暗い顔をしていたこともありました。
でも、私は韓国語に出会ってから、いろいろな事が好転しましたよ
単にシンスンフンに夢中になったからというわけではなく、韓国語を学びながら自分の一つの能力が向上していくことがおもしろかったのです。違う世界があるんだぁ
見方を変えれば楽しいことが転がっているんですよね。環境は変えようとしても変わらないので、自分を変えていけばいいのだということも学びました。
子どもがいないというのもマイナスではなく、勉強するには好都合
天から与えられた才能に感謝しつつ、自分だけの花を咲かせましょうね
投稿: テラ | 2009年1月31日 (土) 13時30分